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【新卒】私が自転車販売店へ就職した経緯
氷河期
私が就職したのは2010年。
就職氷河期世代と呼ばれた1993~2005年の一番就職率の悪い年度で91.1%
その後は求人倍率が回復し、~2009年では95.7%まで増加。
そして新・就職氷河期世代の一番悪い年度が91.8%
私が就職したのは、正しく91.8%の2010年でした。
会社が雇いたい人数より、働きたい人が溢れて、働きたくても働けない事が当たり前な時代だったのです。
内定は2社
恵まれた事に、私は2社から内定を頂いたんです。
1社目は、就職した自転車販売。
2社目は、精密機器の営業。
消去法でした。
精密機器の営業は初任給が基本給27万と、新卒の営業にしては異常に高かった。全国転勤があり、ボーナスは半年に1回、半月分出るが退職金は出ない。
もしかしたら、即戦力以外は使い捨ての可能性があるのかも…と考えました。
一方、自転車店は5年以上在籍すれば寸志程度ではあるけど、退職金も出る。
社員旅行も毎年あり、ほぼ全員が参加していると聞いて人間関係では悩まないのかな…と思って、自転車販売店に就職を決めました。
サービス残業
自己紹介の記事でも少し書いたのですが、自転車販売店で働いていた時は週1回のお休みでした。お休みは月4日。
私はだいたい水曜日固定でした。
暗黙の半日休
繁忙期で月4日お休みが取れない時は、何とか休みをとらせようと店長の苦肉の策で1日分の休みを分解して半日休を2日もらって、お休みを月4日分取った事にしてました。
繁忙期は実質お休みは月3日でした。
もはや、店長が月2日のお休みで働いていたので、文句も言えないし、むしろ店長や周りのスタッフが倒れないか本当に心配でした。
誰か1人でも欠けたら店が回らない状況で、もちろん「休みが欲しい」なんて口が裂けても言えませんでした。
正直、半日休なんか、何もできないです。
私は午後に半日休をもらう事が多かったけど、午後半日休なんてあってないようなもんです。
お客さんは途切れないし、お店がひっちゃかめっちゃかな時に、帰れる強靭な精神は持ち合わせていなかったので、結局15時上がり予定が19時になる事もしばしばでした。
魔法の勤怠
なぜ、そんな事ができたのか。
当時は手書きの勤怠管理でした。
タイムカードの制度でもなかったんです。
10:00~19:00+1時間残業(固定見込み残業内)で毎月書いて提出しています。
実際は8:50には店でユニフォームに着替えを済ませ、忙しくない閑散期でも、早くて21:30ぐらいに店を出ます。
それが、ダラダラ過ごして21:30になる訳じゃなく、全員が全力で店の閉め作業をして日中忙しくて出来なかった仕事をして21:30。
早めの段階で「残業代、付けてくれてもいいんじゃない?」って思ってました。
遅い時は終電まで仕事して帰りますが、全部がサービス残業でした。
愛社精神に依存する
一緒に働いていた店舗の人たちが本当に尊敬できる人達ばっかりでした。
自転車店以外に3社務めましたが、やっぱり、自転車店で働いていた時の方々が1番尊敬できるし、新卒の時に、この人たちと働けて本当に良かったと思っています。
お店に女性が私1人だったんですよね。
正直、扱いにくかったと思います。
21:30に店が閉められてた日は必ず飲みに連れて行ってくれました。
自分の存在意義が分からなくなった時、会社を辞めたいと思った時、気持ちをくんで必死に引き留めてくれ、話を聞いてくれました。
お世辞でも何でもなく、私は本当に、いい上司達に囲まれていました。
そしたらね、「この会社好きかも」と、錯覚してしまうんですよね。
これが危ない。
会社側は、この愛社精神に依存します。
現場がいくら人が少ないと嘆いても、なんとかお店が回ってしまっているから。
人件費だけはホントにケチったらダメ。
過労死ライン
皆さんは、聞いた事あるでしょうか?
労働の過労死ライン。
ニュースで度々取り上げられていて、ご存知の方も多いかと思います。
厚生労働省が発表する過労死ラインは
月80時間以上(発症前2~6ヶ月前の平均)と言われています。
月80時間以上~2ヶ月以上~続くと、健康障害の発生が起こって危険だよ!っていうボーダーラインですね。
とっくに超えてる過労死ライン
繁忙期の平均サービス残業は、だいたい1日4時間。
サービス残業だけで単純に4時間×30日で120時間。
8時間+1時間(固定残業)以外で、です。
3月、4月、5月の頭まではピークに忙しく、
9:00~21:00 オープンからラストまではお茶を飲む時間もありません。
21:00~24:00 お店しまってからは毎日100台ほどの納品を全力で仕上げて帰ります。
お昼休憩は、ありません。
お店が開いてから閉店までノンストップです。
トイレに行くのも、お客さんを待たせてるので30秒ぐらいでまた売り場に戻る。
それが半年続くと、やっと緩やかに閑散期に向かいます。
1年のうち、半年は、こんな生活でした。
入社時48kgあった体重が、3ヶ月で38kgまで落ちましたね。。
次回以降の記事でまた追い追い詳しく書こうと思っているのですが、
よく死ななかったな。と、今でも思います。
元々いた自転車店
あえて、こんなに赤裸々に書いていますが、自転車店だけでなく、これから働く「新卒」の方や「新入社員」に当たる方に、なるべくギャップがなくなるように書いてます。
ピンキリだと思うんです。
自転車屋さんの忙しさって。
私は全店舗の中で1番忙しい店に居てたので、極端に忙しい自転車店だったのかもしれません。
そして、私が元々いた会社は
今は結構な大手になっていて外部からのコンサルを入れていますし
店長、社員関係なく、月8日は休みがとれ、だいぶ社内環境は整ってきているようです。
私たちの世代がいたから会社存続ができた事。
サービス残業がなければ会社存続ができなかった事。
これは紛れもない事実です。
ただ、この会社に私はもういない。
少し寂しいけど
新卒で会社が激動する瞬間を経験できてよかったなと思っています。
結論、ブラック会社ではない。
今、結果、生きているから、私は元々いた自転車販売店をブラック会社だとは思っていません。
でも、当時は普通の思考回路ではなかったのは確かです。
ガリガリに痩せ細った私の体形や
サービス残業の数字だけ見れば
きっと世間ではブラックと言われてしまうけど
「ブラック会社」と、一言で片づけるには、ちょっと違うな。とも思って、記事にしました。
決して、ブラック会社賛成!と言っているワケではありません。
残業自体は生産性を下げると思っているので、大反対です。
伝えたい事が上手く言い表せないけど、発展途上の会社にたまたま居合わせる事ができた。
それがたまたま自転車販売店だった。
そんな感覚です。